荻窪教会の皆さんへ 2020年3月29日

今月23日に公開ミサの中止継続について、菊地大司教からのメッセージが出されました。これは小教区での聖週間の典礼の中止を含んでいるので、衝撃的ではありますが、現状を考慮すると、やむを得ない決断であり、決断の背景にある教区長の苦悩や葛藤にも心を向けましょう。

 

今回の騒動を見ていると、人間の愚かさをいろいろな場面で感じさせられます。「オリンピック・パラリンピックの延期が発表された途端に、東京での感染者数が急増したのって偶然?」「延期された年は、東日本大震災の10年の節目の年で、開催時期は未定だけれど、どう考えても3/11は、準備の時と重なるとしか思えないけど、大切なものが後回しにされないの?」「いろいろなことを見つめなおし、リセットする機会なのに、それを逃していないのかな?」考え始めると複雑です。

 

29日の福音は、ヨハネ福音書の11章のラザロの復活のエピソードです。当日の「聖書と典礼」に掲載されているのは短縮版ですので、ぜひ聖書を開いて11章全体をお読みください。

登場人物の言葉、心の動きは興味深い黙想の材料です。頭の中では理解していることを本当の意味で理解するために挑戦を受けるマルタ、ラザロの死を前に打ちひしがれているマルタとマリアに注がれるイエスのまなざしは、私たちという存在と重なり合うことを福音書は私たちに伝えています。そしてラザロの復活の出来事は、決定的な形でイエスを十字架へと追いやることになります。別な言い方をすると、イエスは自分の十字架上での死と引き換えに、ラザロを復活させたということです。単なるイエスの奇跡というエピソードではなく、イエスは十字架上での死を通して、私たちに父である神との和解、永遠の生命をもたらす方であることを伝えるために、四旬節第5主日(次の日曜日は受難の主日)の福音個所として選ばれています。しっかりと心に留めておきましょう。

 

世界のキリスト者と祈りのうちに連帯し、荻窪教会のメンバーを思い起こしながら、また一週間を過ごしてまいりましょう。ごきげんよう。


2020年3月27日
荻窪教会管理者 浦野 雄二