荻窪教会の皆さんへ
主の復活おめでとうございます。こんな状況の中で言わなければならない、あいさつの言葉としては、どこかむなしく、説得力のない響きを感じるのは、残念です。キリスト者にとっての挑戦かもしれません。止まらないウイルスの感染拡大、緊急事態の中で、本当に「主の復活おめでとうございます」と言うことに抵抗はないのかと問われているかのようです。しかしこのあいさつの言葉への信頼のうちに生きるキリスト者との連帯、特に荻窪教会の皆さんとのつながりを通して、突き付けられている挑戦に立ち向かいましょう。
復活の主日の福音は、ヨハネ福音書(20章1~9節)です。いつものように聖書の本文を読んでくださいね。3人の弟子たちが登場してきます。マグダラのマリア、シモン・ペトロ、イエスが愛しておられたもう一人の弟子です。「3」という数字から何を連想されますか。ヨハネ福音記者にとっての関心は、イエスの復活の出来事の中身よりも、主の復活の証し人として使命を託されているのが教会である、ということにあるようです。登場する3人の弟子たちは、女性、男性、そして匿名の人物で、共同体を形作る象徴的な人物たちと言えるでしょう。具体的な人物だけではなく、無名の者も教会を形作る一員として大切にされなければならないという鋭い指摘がヨハネ福音記者の主張でもあるかのようです。3人の弟子たちの中心に復活したキリストがおられ、3人の弟子たちの歩みを見守り、3人が他者への尊敬とやさしさの中で、主の復活の証し人に成長することが期待されています。その期待は荻窪教会にも期待されていることです。
荻窪教会の皆さんへの最後の言葉になりました。主は私たちに期待されている方です。そのために乗り越えなければならないものもあります。それは偏見であったり、排除であったり、思い上がりというもので、人間にはなじみ深いものです。それと対照的なものは、へりくだりであったり、やさしさであったり、謙遜というもので神的なものです。私たちキリスト者は、人間としてこの世に生きながら、神の世界を知っている存在です。この神の世界を私たちに示してくださった方が、神のひとり子であるキリストご自身です。神的なものを土台にして、期待に応えていきましょう。そして時々出会いを思い起こしましょう。
短い間ではありましたが、出会いに感謝です。また会う日まで。ごきげんよう。
2020年4月12日 荻窪教会管理者 浦野 雄二