2020年6月21日 ビジュ神父様メッセージ

第一朗読   エレミヤ20.10-13
第二朗読   ローマ5.12-15

福音朗読 マタイ10.26-33

〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕26「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 32「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

 


分かち合い

 

 わたしたちの日々の生き方を問われる聖書箇所です。自分の空しさ、情け深さに関して落ち込むことはないと力づける言葉です。


 この言葉によって生きていれば、落ち込むことはないはずです。人は些細な事ことで、‘自分は何もできない’、‘誰にも必要とされていない’、‘生きる価値がない’と思うことが大なり小なり誰もが経験していると思います。そのような私たちに今日の福音は前向きに生きるよう力づけて下さるのです。


 私たちは、毎日、心配事が多いと思います。自分のことであったり、家族のことであったり、仕事のことであったり、それは様々です。心配すればするほど、落ち着かないことが多くなり、自分らしく生きることが出来なくなるのです。


 イエス様は、そのような私たちに、雀と髪の毛の例を通して話しているのです。


 雀は一羽だけで買われるほどの価値がなかったのでセットでしか売られていなかったようです。そんなに価値のない雀さえ神様によって生かされているのです。


 髪の毛は数えきれないほどたくさんあるので、そんなに大切にするようなものではなかったようです。毎日のように髪の毛は抜け落ちることもあり、気にしないことが多いでしょう(薄髪の方は例外かもしれません!)。そんな大切と思われていない髪の毛一本も神様は大切思っていると言うのです。

 

 この雀と髪の毛のたとえを通して、イエス様は神様の細かい配慮と、人間に対する神のいつくしみは決してなくならないことを強調しているのです。


 だから、神の似姿で作られた私たちはもっとも大切にされているのだと言う約束は今日の福音のメッセージです。心配何か要りません。心配したところで何が変わるのか。自分を苦しませるだけではないか。この世に誕生する時は何も心配する自覚がなく生まれ、育てられました。神様は誰かを通して私たちに必要なことをして下さるのです。だから、私たちが心掛けなればならないのは、自分に与えられた恵みをしっかりと活かすことです。出来ないと言ってくよくよするのではなく、出来るところから始めることです。みんなそれぞれ出来ることがあります。自分に出来ることにすべてをかけて、神様のみ旨に任すことは神様に対する私たちの信頼になるのです。


 誰であってもすべての恐怖に打ち勝ち、神のみ旨を信じ、正しいと思うことを実行できるようになることは今日の福音の前半にある「神を恐れる」ということです。自分に忠実に生きることは神様のみ旨を行うことになるのです。神様より、自分の力、自分の地位に頼っていれば、すべては傲慢になり、失敗した時に自分の力不足だと感じて、神の愛から遠ざかってしまうのです。


 今日の福音を通してイエス様はどんなことがあっても、神様は見捨てることがありませんと固く信じるようにとおっしゃいます。日々の生活の中で、苦しい毎日を送ることもあれば、理解に苦しむような出来事もあります。誰にだってあることだと思います。そのときこそ、今日の福音の中の雀と髪の毛の一本の存在すら大切にする神様は自分のことをもっと大切してくださるのだと信じて、前向きに信仰生活を送りましょう。