年間第13主日
第一朗読 列王記下 4:8-11、14-16a
第二朗読 ローマ6:3-4、8-11
福音朗読 マタイ10・37-42
〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。38また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。39自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
40あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。41預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。42はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
分かち合い
今日の福音はイエス様の弟子になるために欠かせないことについて書かれています。
イエス様は私たちが一番大切だと思っている家族のことを持ち出して語っています。
自分の家族を捨ててまで、他人の誰かに従おうと思う人は、あまりいないと思います。
しかし、イエス様は「わたしより父、母を愛する者は、わたしにふさわしくない」と語っているのです。イエス様のこの言葉は何を意味するのでしょうか。
私たちは自分の家族を愛していても家族間の中の関係が悪くなることがあります。しばらくの間、家族を拒絶し、言葉を交わさなかったり、互いに無視したりしても、心のどこかで、家族のことを思い、過ごしていることがあるでしょう。
そのような私たちは家族を後回しにすることがあるでしょう。それは、家族との絆よりも自分にとって大切だと思えるものと出会ったときに、そちらを優先してしまうことです。家族を愛していると言いながら、自分だけを優先することは、きっと、自分にとって大切なものだから優先していくのです。
イエス様はきっとこのことを伝えているのだと思います。神様とのつながりは自分の家族のように大切なものだということです。頭では理解できないから神様を信じることができないと思う方々がたくさんいるようです。しかし、自分が生きているという奇跡そのものが神様の存在とその偉大さを現すものです。特に、新型コロナヴィルス感染拡大の中だからこそ、自分の生存そのものが、神様とのつながりを優先する目覚めであってほしいです。
よく日本で目の当たりにすることですが、家族の中にカトリック信者がいない中でも、家族とのつながりを超えて洗礼を受けようとする方々の決断です。これは、まさに、イエス様がおっしゃる「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない」という家族より神様とのつながりを優先することを選択しているのです。キリスト者として洗礼を受けた時に、自分の家族の中で、他のだれもキリスト者にならなくても、神様の呼びかけに答えて、その道を選んだ方々はイエス様がおっしゃることを実行しているのです。この言葉を通して、イエス様がおっしゃるのは、家族との関係を断つことではありません、むしろ、神様との絆を深めなさいということです。唯一の日曜日に教会に行って神様と向き合う時間を優先することでさらに神様とのきずなを深められることでしょう。
日々の生活の中で、自分なりの十字架を背負う時にも、神様とのつながりを大切にして、希望と喜びをもって、互いに助け合って、人としての役割を果たしていくことをこころがけるよう努めましょう。