2020年8月1日 ビジュ・キシャケール神父様メッセージ

<聖書朗読箇所>

 

第一朗読 イザヤ55・1-3

 〔主は言われる。〕渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。わたしはあなたたちと とこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。

 

第二朗読 ローマ8・35、37-39

 〔皆さん、〕だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

福音朗読 マタイ14・13-21

 イエスは〔洗礼者ヨハネが死んだこと〕を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

 

 

<分かち合い>

 

 イエス様のところにたくさんの人々が集まったのはどうしてでしょうか。

 

 今日の福音は、話を聞きに来ていた人々に対するイエス様の慈しみを示す言葉とそれに伴う行動です。イエス様は、毎日、精一杯生きている人々をも相手にして教え、彼らに希望を与えていたのです。特に、罪人や、社会から除外されていた方にとって、イエス様の教えとその行いは神様の慈しみそのものでした。だからこそ、たくさんの人々が夢中になってイエス様の話を聞きに来ていたのでしょう。

 

 ここでイエス様は弟子たちにも新しいことを教えています。それは、自分たちのところに来た人々を手ぶらで返さないということです。私は、自分の両親のことを思い出します。実家はココナツの木、ゴムの木、スパイス栽培などの農業を営んでいます。人を雇って畑の手入れをし、母も家事が終わると手伝いに出ていました。子どもの頃いつも目の当たりにしていた光景があります。それは時々、畑で仕事をしているさなか、友人や親せきなど事前連絡もなく訪れることがありました。両親は必ず、畑の仕事を中断して家に戻り、彼らとともに過ごす時間を大切にしていました。どんなに時間がかかっても、父と母は訪れてきた方々をもてなしていたのです。両親は訪れてくる人を、またいつ来るかわかりませんので、自分たちの仕事や時間よりも、彼らを優先していたということは昨日のように覚えています。

 

 イエス様はやはり、自分の話を聞きに来た人々には、食べ物までも準備するように促して、彼らを全面的に支えようとしていたのです。イエス様のこのもてなしこそ人々にとって今までのないやり方であり、神様の慈しみを味わう行為となったのです。

 

 キリスト者として私たちは、どのように神様の慈しみを地域に伝えているのでしょうか。今、自分を必要としている人は誰でしょうか。その人々のために、私は何を準備しているのでしょうか。大きなことをしなくてもいいです。そばにいて、話し相手になるだけでも、人に慰めと希望を与えることができるかもしれません。新型コロナウィルス感染が収まらない中ですが、孤独でいる人々、不安にいる人々のために祈りをすることだけでも心が通じることになります。イエス様がそばに来てくださった方々を満腹させたように、求めている人のために、出来ることを精一杯してあげることが出来るように心がけましょう。