年間第17主日 ヨハネ6:1-15
2021年7月25日(荻窪教会)
今日は年間第17主日を迎えています。東京ではオリンピックも始まり、たくさんの人々にとって、今まで培ってきた努力を形にする機会です。コロナ禍で大変な思いをしていている人々も多くいますが、オリンピック開催に関しては複雑な思いもありますが、始まったわけですので、多くの人に感動と希望を与える機会となり、また、世界を平和へ導く一つのイベントになればと思います。
さて、今日の福音を見ると、イエス様が人々に感動と希望を与える話です。イエス様の話を聞きに来た人々が男だけでも5千人がいたそうです。その他も女性や子どもたちもいたことと考えるとおそらくこの倍の人数がいたでしょう。今でも5千人が誰かの話を聞くために集まることもなかなか難しいことですが、当時のことを考えるとイエス様の教えに対する人々の反応を描かれているのです。一昨年教皇様が来日した時もたくさんの方々があつまり、スーパースターのような印象を与えましたね。イエス様の時代にこんなにたくさん集まったということは、その村、その地域のすべての人々がイエス様の話を聞くために集まったに違いないと思います。だから、イエス様はたくさんの人々に希望と勇気を与え、神様のことを彼らがわかりやすい言葉と表現で伝えていたことでしょう。
ここで、イエス様はなさった奇跡とは、彼らに満腹するほど食事を与えたことです。イエス様は、自分のところに来てくださった人々を手ぶらで返さなかったということです。まず、わかりやすい話を通して神様について語り、その話に夢中であった人々の精神的な渇きを満たしたのち、彼らの肉体的な渇きにも気を配ったのです。これは、なかなかできることではないと思います。例えば、今でも誰かの話、集いに参加する場合は、自分の身の回りのことを自分で解決しなければなりません。誰かに世話してもらうことはできないのです。
このヨハネ福音書で、注目したいのは、イエス様の人々への関心です。
「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(5節)というイエス様の問いです。この問いの本当の答えは、6章35節にあるイエス様の宣言、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」というところにあります。「二百デナリオン」は200日分の日給にあたりますからたいへんな額です。とても自分たちの手には負えない、と考えて「足りないでしょう」「何の役にも立たないでしょう」と弟子たちが言うのです。このようなつぶやきは弟子たちだけではなく、私たちもしばしばすることです。「どうして、私がしなければならないのですか?」とか、「自分のことを自分でして下さい」とか言ってしまうような私たちです。
この話のもとにあることは、「イエス様のもとに本当の豊かさ」があるということです。だから、イエス様のことを分かち合うことです。分かち合いをしなければ相手はそれについて気づきません。家族として、食事は分かち合いますが、神様のことについて、どのような分かち合いをしているでしょうか。「何も知らないから伝えることが出来ないので、しっかり準備してから」と思うかもしれませんが、大切なのは、与えられたことでできることを分かち合うことです。
このオリンピックの時期に誰かの勝利を分かち合うことによってその喜びが倍になります。わずかなものでも、大切なことは分かち合うことです。私たちの信仰を分かち合いし、一人でも多くの人が、神様とのつながりを感じ、その豊さに生きることが出来ますように、持っているものから働きかけ始めましょう。
ビジュ キシャケール神父