2021年8月8日 アンディ神父様メッセージ

「私は天から降ってきたパンである」

 皆さん、今日の福音書は、天から降ってきた“命のパン”についてです。 イエス様は、「私は天から降ってきたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである」と仰いました。出エジプト記の中に、荒野でイスラエルの民が、空から降ってきたマンナによって養われ続けたように、”命のパン“は私たちを罪の奴隷(どれい)の状態(じょうたい)から救い出し、永遠の命へと導く”魂の食べ物”なのです。

 イエス様の言われた“ 命のパン”とは、決して目に見えるものではありません。それは、見える出来事の中に、見ることのできない神様のお導きやご計画を感じる、または見るということです。たとえば、今まで偶然であると思っていたこと、または自分の努力だけで成功したと信じていたことが、神様が導いてくださったと思えるようになることです。その最たる例が信仰です。

 私達の信仰は神様が与えてくださったものです。神様は不思議なきっかけで、私達を教会へと導いてくださり、信仰を与えてくださいました。これは本当のことです。そして、その信仰は、神様の御言葉、ご聖体などをとおして、私たちを永遠の命へと導いてくださいます。しかし信仰そのものがなければ、私たちがいただくご聖体は全く意味のないものとなってしまいます。なんでもいいから、ご聖体を食べれば、効き目があるというものではありません。

 確かに、先の見えないコロナ禍にあって、信仰に対する気持ちや生き方に大きな変化を感じている人が多いと思います。環境が変われば気持ちも、信仰も変わってしまうかもしれません。ですが、こういう時こそ”命のパン“の事を思い出してください。ご聖体を頂くときは、ご自分の信仰がイエス様の求めに値するのか、イエス様は私たちの為に何をしてくださったのかを、心に刻んで、改めて、イエス様を心の中に感じて、このコロナ禍を乗り越えていただきたいと思います。

 イエス様の“命のパン”の信念は、ご自分の為ではなく、他の人たちへの“命のパン”であることをも意味しています。もし、困っている人がいたら、ぜひ彼らの声に耳を傾けてください。苦しんでいる人達に寄り添い、心の痛みを分かち合うことも、”命のパン“の分かち合いになります。本当の幸せとは自分だけが幸せになることではありません。ともに苦しみを分かち合い、ともに幸せを分かち合うことだと思います。どうぞ皆さん、多くの人々へ”命のパン“を届けてくださいますように。

 皆さんご一緒に、コロナ感染の終息の為に、祈りましょう。

 

アンディ神父