年間第22主日
(マルコ7:1-8.14-15,21-23)
今日は年間第22主日を迎えています。コロナ感染はまだ収まらない中で、先はまだ見えて来ませんが、身の安全のため、皆さま、できるだけ最小限の外出に心がけてください。
今日の福音はマルコの7章から選ばれています。この福音はイエス様がファリサイ派や律法学者たちに向かって、堂々と話す言葉です。ある意味で、イエス様はファリサイ派や律法学者たちの生き方を見て、彼らを批判しているのです。つまり、イエス様から見て、本当はこの人たちはとても模範的な人たちのはずです。彼らの生き方は宗教的な行事や規程をしっかり守り、それを他の人々も守るように模範を示していた人々でもあったのです。つまり彼らの影響でユダヤ人みんなは、昔の人の言い伝えを固く守り、念入りに手を洗わずには食事をせず、また市場から持ち帰った物は、まず水で清めてからでなければ、それを食べることはなかった。このことからも彼らはとてもきれい好きで、人々からとても尊敬されていたのでした。しかし、彼らが自分たちが守るべきものを守りますが、人には優しいわけではありませんでした。義務的には模範的と言えても、困っている人々や弱い人々にも同じ義務的な要求を求めていたのです。そこで、イエス様は義務的なことより人間性に重点をおいて、人を人として尊敬していたのです。イエス様の弟子たちの中でもファリサイ派や律法学者たちが求めていたことを守れなかった人々もいたのです。なぜなら、イエス様は義務的な束縛より、神様の似姿で作られた人々、特に、貧しい人々、罪びと、除外されていた人々に手を差し出して彼らに救いの道をご自分の生き方を通して示していたのです。今日の福音は、この憎たらしいファリサイ派や律法学者たちの義務的な要求より、実際に人間として人々を受け入れることを欠けていた彼らへの批判の言葉でした。
皆さま、私たちが求められていることは、やはり、人間的な側面から人を愛することです。義務的なことを守ることも必要ですが、しかし、それは人を大切にすることの妨げにならないことが求められています。イエス様の生き方はそれを証明しています。
今日私たちは自分に問いかける言葉として、私はどのように人を愛しているでしょうかということです。自分が人を愛するために妨げになっているものはあるでしょうか。まずあるなら、それを取り払う勇気と恵みを祈り求めましょう。
2021年8月29日
ビジュ キシャケール