2021-December- 5th. 待降節第二主日(たいこうせつ,だいに,しゅじつ)(Second Sunday of Advent.)
ルカによる福音 3・3-6
「そこで、ヨハネは、ヨルダン川沿(がわぞ)いの地方一帯に行って、罪の許しを得させるために、悔い改めの洗礼をのべ伝えた。それは、預言者イザヤの書に書いてある通りである。荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整(ととの)え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘(おか)は、みな低(ひく)くされる。曲(ま)がった道は、まっすぐに、でこぼこの道は、平(たい)らになり、人はみな、神の救いを仰(あお)ぎ見る。」
分かち合い:
洗礼者ヨハネは、「罪について回心しながら、あるいは、悔い改めながら、純粋(じゅんすい)な心(こころ)でイエス様に会いましょう」と教えました。(John the Baptist taught us to repent of our sins and thus to meet Jesus with a pure heart.)
皆さん、今日私たちは待降節(たいこうせつ)第二主日を迎えています。今日の福音朗読の大事なメッセージは「罪について回心しながら、あるいは、悔い改めながら、純粋(じゅんすい)な心でイエス様に会いましょう。」という、洗礼者ヨハネの教えです。私たちの救い主であるイエス様をふさわしく、出迎えるように、今日の福音朗読から出てくる二つのことを、皆様と分かち合いたいと思います。
始めに、イエス様の降誕祭について、信者(しんじゃ)である私達にとって、黙想するとき、一番必要な考えは、自分自身の悔い改めること、あるいは、自分の罪について、回心することだと、今日の福音朗読で、次の通り聞いています。
「そこで、ヨハネは、ヨルダン川沿(がわぞ)いの地方一帯(ちほういったい)に行って、罪の許しを得させるために、悔い改めの洗礼を伝えた。それは、預言者イザヤの書に書いてある通りである。」
イエス様の降誕祭をふさわしく祝うために、私たちは、自分自身を悔い改める必要があると、預言者イザヤと洗礼者ヨハネは、私達に教えておられます。このことについて黙想しながら、悔い改めの恵みのために、このごミサの中で、ともに祈りましょう。
次に、私たちは、自分自身を悔い改める時、純粋(じゅんすい)な心で、イエス様を、ふさわしく迎えることができると、今日の福音朗読で、本当に象徴的な言葉で、次の通り聞いています。
「荒れ野で叫(さけ)ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋(みちすじ)をまっすぐにせよ。谷はすべて埋(う)められ、山と丘は、みな低(ひく)くされる。曲(ま)がった道は、まっすぐに、でこぼこの道は、平(たい)らになり、人は皆、神の 救(すく)いを仰(あお)ぎ見る。」
自分自身の悔い改める時、あるいは、純粋(じゅんすい)な心がある時、私たちは 主の道を整(ととの)えながら、その道筋(みちすじ)をまっすぐにしながら、降誕祭の、よい準備ができると思います。この立派な教えから学びながら、自分自身の毎日の生活について、考えてみましょう。
毎日の生活の中で私達も、自分の罪の影響で、イエス様から離れている時が、あるかもしれません。このことについて、回心しながら、悔い改めながら、自分の心を清くするようにしましょう。その時、私たちは、救い主であるイエス様を、ふさわしく迎える者になると思います。このような恵みを神様から、頂(いただ)けるように、このごミサの中で、共に祈りましょう。
最後になりますが、今も全世界でたくさんの人達が新型コロナウイルスの影響に大変苦しんでいます。難しいことですが、この苦しみの中にあって、神様の愛する子供である全ての人々が救われるには、どうすればよいでしょうか。このことについて考えながら病人の回復のために共にに祈りましょう。