「お互いに愛を共有しましょう」
今日はルカ6章から「平野の説教」といわれるイエスの言葉を学びましょう。この平野の説教は、マタイ福音書にある「山上の説教」のルカ版と言われています。イエス様は物乞いを必要とする「貧しい者」「泣く者」「飢えている人たち」を祝福されました。何故、この様に苦しみの中で生きている人々を「幸い」とイエス様は言われたのでしょうか。ここでは、貧しい者が富むようになるから幸いだという意味ではありません。貧しいものには「神の国が与えられる」から幸いだという事です。貧しい人々は心の底から神様に助けを求めることによって、祈りの中で神様に出会います。だから幸いなのだとイエス様は言われたのです。
「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」というイエス様の言葉のように、お金や物質的な欲の為に神様に祈る人々は神様に出会う事は難しいのです。
イエス様は弟子達に幸いと不幸について、「あなたはどちらの道を選ぶのか?」と迫りました。では今の私達はどうでしょうか?皆さんはそれぞれの価値観に基づいて、ご自分の道を生きています。どちらの道を選ばれたとしても、「貧しい人」「富んでいる人」には悩みがあり、神様の救いを求めていると思います。ここで最も大切な事は、「富んでいる人」は困っている隣人の為に手を差し伸べて苦しみを分かち合う事です。そして「貧しい人」は感謝してその愛を受け入れる勇気を持つ事です。イエス様は貧しい人々、そして富める人々にも限りない愛を注いでくださいます。
世界には寒空の下で食べ物も無く、住む所も無く、戦禍の中で逃げまどう人達がいます。イエス様の弟子として、どうやって困難の中で生きている人の為に、何が自分にできるのか、是非考えていただきたいと思います。私達はお互いに愛を共有して生きています。血の繋がりはなくても、私達は兄弟姉妹だからです。
私利私欲を捨てて、誰か幸せにする姿勢を忘れないでください。誰かの心の愛を満たそうという行為が、イエス様との出会いです。ご自分にとっての本当の幸せの意味を、今日の福音書の中で感じとっていただきたいと思います。
主の平和。