2022年 聖木曜日. 福音朗読 ヨハネによる福音13.(4,5,12-15)
「イエスは食事の席から立ち上がって上着(うわぎ)を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。……さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「私があなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、私を『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗いあわなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」
分かち合い (お互いの愛と奉仕と許し。-Mutual love and Service.)
皆さん、ユダヤ人達の社会で自分の弟子たちと一緒に生活したイエス様は弟子たちの足を洗いながら、お互いの愛と奉仕と赦しについて彼らに教えておられます。愛と奉仕と赦しはお互いによくつながっていることです。ですから愛がないとき奉仕することも、赦すこともできないとイエス様は弟子たちを教えておられます。ですから、この日からあるいは聖木曜日から、接待(せったい)された御ミザ(Holy Mass)と祭司職(さいししょく)(Priesthood)という霊的な秘跡(ひせき)の だいじいなメッセージはお互いの愛と奉仕と赦しということです。御ミサに参加する私達は、弟子たちの足を洗いながら、自分のりっぱな行いで、正しい愛と奉仕と赦しについて教えてくださったイエス様の模範的な生活について黙想しなければならないと思います。
聖木曜日はイエス様の弟子たちとの最後の晩さんの記念(きねん)です。この日は、私たちがあずかる御ミサの記念(きねん)です。また、この日は、祭司職の始まりでもあり、すべての司祭のために祈る日でもあります。すべての司祭が、イエス様を模範として、その祭司職をまっとうすることができますようにともに祈りましょう。
ユダヤ人達の社会で、主人は僕(しもべ)の足あるいは先生は弟子の足を洗うことは決して許されませんでした。かえって、僕だけ主人あるいは目上の人の足を洗いました。その時、先生であるイエス様は本当にへりくだった気持ちで、自分の弟子たちの足を洗うのは、お互いの愛と 奉仕と赦しという、模範的な行いで、弟子たちに教えたのです。このことについて今日の福音朗読でイエス様は次の通り弟子たちに言われています。「あなたがたは私を『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互に足を洗いあわなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと模範を示(しめ)したのである。」
みなさん、良い行いは口先で話せる言葉より行動(こうどう)で示(しめ)すことです。(Action speaks louder than words)という諺(ことわざ)は、ここで、本当にふさわしいです。この諺(ことわざ)を思い出し、ある時、聖マザーテレサはこう言われました。「イエス様は自分の言葉より自分の模範的な行いでよく説教して下さいました。ですからこういうような説教を聞いた人間も 回心しながら自分の心も清くしました。」。イエス様の模範的な行いについて学びながら、自分自身の毎日の生活について、次の通り考えてみましょう。
初めに、イエス様は自分の友人と敵を同じく愛された。例えば、弟子たちの中でイエス様を裏切ろうとしていたイスカリオテのシモンの子、ユダもいました。自分の敵であるユダを憎まないでイエス様は彼を愛された。自分の敵について私たちの考えは、何でしょうか。イエス様を従いながら敵を愛するのは普通な人間である私たちにとって、難しいと思います。そうなら敵を憎まないで、愛するための霊的な力のためにイエス様に祈りましょう。
二番目に、お互いの愛と奉仕と赦しについてルカによる福音の中でイエス様は次のとおり教えておられます。「あなた方の中で一番偉(いちばん、えら)い人は一番若(わか)いもののようになり、上に立つ人は、仕えるもののようになりなさい。(ルカ。22.26。)私たちの生活の中でこの立派な教えの関係は何でしょうか。イエス様に従いながら、本当にへりくだった気持ちで兄弟姉妹に奉仕することができるでしょうか。
三番目に、私たちの家族でお互いの愛と奉仕と赦しの教えをよく守るのは必要です。お互いに過(あやま)ちを赦す時、愛と奉仕と赦しは、自動的に家族の中で増(ふ)えると思います。そのめぐみのために,共に祈りましょう。
最後に、ところで今全世界でたくさんの人達はコロナ病気で大変苦しんでいます。お互いの愛と奉仕と赦しの教えから学びながらこの病人を助けるために何をしたらいいでしょうか。このことについて考えながら病人の回復のために神様に祈りましょう。