2022年7月24日 ボスコ神父様メッセージ

 

 

 2022 July 24th.Sunday.年間第十七主日(Seventeenth Sunday of the Year.)

 

ルカによる福音。11.1-4. イエスはあるところで祈っておられた。祈りが終わると、弟子のひとりがイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。私達に必要な糧(かて)を毎日与えてください。私達の罪を赦してください。私達も自分に負(お)い目(め)のある人を皆(みな)赦(ゆる)しますから。私達を誘惑(ゆうわく)に遭わせないでください。』」

 

分かち合い:イエス様は、謙遜(けんそん)な人だけが、本当に神に祈ることが、できると教えています。(Jesus teaches us that only a humble man can truly pray to God.)

 

皆さん、今日、私たちは典礼年(てんれいねん)の第十七(17)日曜日を祝います。今日の福音書の朗読では、イエス様は、弟子たちに、真(しん)の祈(いの)りについて、教えておられます。 言い換(か)えれば、イエス様は主の祈りをはっきりと説明(せつめい)しています。 さらに、主の祈りを振(ふ)り返(かえ)り、真の祈りの、二つの重要(じゅうよう)な要素(ようそ)を、皆様と、分かち合いたいと、思います。

 

 始めに、イエス様は、謙遜(けんそん)な人(ひと)だけが、真(しん)に、神(かみ)に、祈(いの)ることが、できると、はっきりと、説明しています。 言い換えれば、イエス様は、人が神を、世界(せかい)の創造主(そうぞうしゅ)として、謙虚(けんきょ)に、受(う)け入れるとき、神に祈る、準備(じゅんび)ができていると、説明しています。 祈りのこの、側面(そくめん)について、福音書の、最初(さいしょ)の、部分(ぶぶん)で、次(つぎ)のように、聞(き)いています。

 

イエスはあるところで祈っておられた。祈りが終わると、弟子のひとりがイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。私達に必要な糧(かて)を、毎日与えてください。

 

ですから皆様、恵みが謙遜(けんそん)になるように、祈りましょう。そうすれば、真(しん)に神に、祈ることができると、おもいます。

 

次に、イエス様は、また、人が、互(たが)いに、赦(ゆる)し合(あ)うことを、いとわないときのみ、真(しん)に神に、祈ることが、できると、説明(せつめい)しています。 言い換えれば、私たちが兄弟姉妹を、赦(ゆる)さないとき、私たちの、祈りは、本物(ほんもの)ではありません。 これについて、最後(さいご)に、次(つぎ)のように、主の祈りで、私達は聞いています。

 

「私達の罪を赦(ゆる)してください。私達も自分に負(お)い目(め)のある人を皆(みな)赦(ゆる)しますから。私達を誘惑(ゆうわく)に遭わせないでください。」

 

ですから皆様、主の祈りから学びながら、互いに赦(ゆる)し合うことを学びましょう。この立派な教から学びながら、私たちの毎日の生活について、次のように、考えてみましょう。

 

毎日の生活の中で、私達も、イエス様の言葉と教えから離(はな)れながら、あるいは、高(たか)ぶる気持ちで、お互(たが)いに、赦(ゆる)さないで、生活したときが、あるかもしれません。このことについて、回心(かいしん)しながら、イエス様の、教えから学びながら、生活するようにしましょう。こういうような、恵(めぐ)み、神様から、頂(いただ)けるように、このごミサの中で、ともに、祈りましょう。

 

また、今も、全世界(ぜんせかい)で、たくさんの人達が、新型(しんがた)コロナウイルスの、影響(えいきょう)に、大変(たいへん)苦しんでいます。難しいことですが、この苦しみの中にあって、神様の愛する子供(こども)である、全(すべ)ての人々が、救(すく)われるには、どうすれば、よいでしょうか。このことについて考えながら、病人(びょうにん)の、回復(かいふく)のために、共(とも)に、祈(いの)りましょう。

 

最後になりますが、私たちは皆、ロシアとウクライナの、戦争(せんそう)と、罪(つみ)のない人々(ひとびと)の、苦(くる)しみについて、知(し)っています。苦(くる)しんでいる人々は 神様から、霊的(れいてき)な力(ちから)を頂(いただ)けるように、祈りましょう。この戦争(せんそう)が、終(お)わり、平和が、回復(かいふく)される、可能性(かのうせい)があるため、神様が、介入(かいにゅう)することを、特別(とくべつ)に、祈(いの)りましょう。