2022年8月7日 ボスコ神父様メッセージ

2022 August 7th. Sunday.年間第十 九  主日(Nineteenth Sunday of the Year.)

 

ルカによる福音:12. 35-40.その時、イエスは言われた。「腰(こし)に帯(おび)を締(し)め、ともし火をともしていなさい。主人(しゅじん)が婚宴(こんえん)から帰って来て戸(と)をたたく時、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰ってきた時、目を覚(さ)ましているのを見られる僕(しもべ)たちは幸(さいわ)いだ。はっきり言っておくが、主人は帯(おび)を締(し)めて、この僕(しもべ)たちを食事の席(せき)に着(つ)かせ、そばに来て給仕(きゅうじ)してくれる。主人が真夜中(まよなか)に帰っても、夜明(よあ)けに帰っても、目を覚(さ)ましているのを見られる僕(しもべ)たちは幸(さいわ)いだ。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒(どろぼう)がいつやってくるかをしっていたら、自分の家に押(お)し入らせはしないだろう。あなたがたも用意(ようい)していなさい。人の子は思いかけないときに来(く)るからである。」

 

分かち合い:私たちがお互いを愛し、仕えるならば、私たちは自分の死の現実(げんじつ)に直面(ちょくめん)する時に幸(しあわ)せになるだろう、と、イエス様は象徴的な言葉で教(おし)えておられます。(Jesus teaches us that, when we love and serve each other, we will be happy to face the reality of our death. )

 皆さん、今日、私たちは典礼年(てんれいねん)の第十九(19)主日を祝います。今日の福音書の朗読では、イエス様は私たちの死(し)の現実(げんじつ)について、象徴的に、語られています。言い換えると、主人と忠実(ちゅうじつ)な僕(しもべ)たちの、たとえを用(もち)いて、イエス様は、神様が、私たちの主人である一方(いっぽう)で、神様を信(しん)じる者(もの)は、誰(だれ)でも、忠実(ちゅうじつ)な僕(しもべ)であると、説明(せつめい)しておられます。そのような、忠実(ちゅうじつ)な僕(しもべ)は、互いに愛し合い、仕え合わなければなりません。そうすれば、その忠実(ちゅうじつ)な僕(しもべ)は、確(たし)かに幸(しあわ)せで、平和な死(し)を迎(むか)えるでしょう。この考えさせられるたとえを振(ふ)り返(かえ)って, 二つの考えを皆さんと分かち合いたいと思います。

 第一に、父なる神様は、神様を信じる者に対(たい)して、豊かな愛を持っておられると、はっきり言われています。これについては、福音書の朗読で、次のように、私達は、聞いています。 

 その時、イエスは言われた。「腰(こし)に帯(おび)を締(し)め、ともし火をともしていなさい。主人(しゅじん)が婚宴(こんえん)から帰ってきて戸(と)をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰ってきた時、目を覚(さ)ましているのを見られる僕(しもべ)たちは幸(さいわ)いだ。はっきり言っておくが、主人は帯(おび)を締(し)めて、この僕(しもべ)たちを食事の席(せき)に着(つ)かせ、そばに来て給仕(きゅうじ)してくれる。主人が真夜中(まよなか)に帰っても、夜明(よあ)けに帰っても、目を覚(さ)ましているのを見られる僕(しもべ)たちは幸(さいわ)いだ。」

 ですから、父なる神様は、神様を信じる者に対(たい)して、豊かな愛を持っておられることから、まなびながら、強い信仰のめぐみのために、祈りましょう。

 第二に、私たちの死(し)は予期(よき)せず、やってくると、はっきり、言われています。ですから、互いに愛と奉仕の人生を、送(おく)るなら、私達は、幸せに、死に会うことができます。これについては、福音書の朗読で、次のように聞いています。

「あなたがたも用意(ようい)していなさい。人の子は思いかけないときに来(く)るからである。」

 ですから、相互(そうご)の愛(あい)と奉仕(ほうし)の人生(じんせい)を生(い)きることによって、平和で、幸(しあわ)せな、死(し)に備(そな)えましょう。この立派な教から学びながら、私たちの毎日にちの生活について、次のように、考えてみましょう。

 毎日の生活の中で、私達も、イエス様の言葉を避(さ)け、あるいは、イエス様のみ言葉から、離(はな)れてしまい、お互いに、愛(あい)と奉仕(ほうし)しないで、生活したときがあるかもしれません。このことについて、回心(かいしん)しながら、お互いに、愛(あい)と、奉仕(ほうし)しながら、生活するようにしましょう。そうすれば、私たちは、幸せで、平和な死の、贈(おく)り物(もの)を、経験(けいけん)することができるでしょう。こういうような恵(めぐ)みを神様から頂(いただ)けるように、このごミサの中で、ともに、祈りましょう。

 また、今も、全世界(ぜんせかい)で、たくさんの人達が、新型(しんがた)コロナウイルスの、影響(えいきょう)に、大変(たいへん)苦しんでいます。難しいことですが、この苦しみの中にあって、神様の愛する子供(こども)である、全(すべ)ての人々が、救(すく)われるには、どうすれば、よいでしょうか。このことについて、考えながら、病人(びょうにん)の、回復(かいふく)のために、共(とも)に、祈(いの)りましょう。