「憐れみ深い神から学ぶ」
ルカ、15.1-32
皆さん、今日の福音書の中でイエス様は、悔い改めた「徴税人と罪人達」を「迷い出た羊、見失った銀貨、放蕩息子」に例えられて、「見失ったものを見つけ出した者の喜び」という憐れむ心を教えられました。
イエス様は例え話の結論として「悔い改める一人の罪人は、悔い改める必要のない九十九人の正しい人よりも大きな喜びが天にある。」と仰って、限りない憐みの心をお示しになりました。そして、ファリサイ派や律法学者たちに対し、「徴税人や罪人が救われるのは、神にとって羊飼いが見失った羊を捜しあてたような喜びである。」と言われ、さらに身分の差無くして一緒に喜ぶことを求められました。
これらの例え話から、私達はイエス様の御心の本質を知ることが出来ます。イエス様は、「一匹の羊、一枚の銀貨、一人の息子」を見捨てず、見つかるまで捜し求められる方であり、小さな喜びでも皆一緒に喜びを分かち合われました。イエス様が罪人の滅びではなく、罪人が生きることを望まれたのです。イエス様は罪によって自分から離れ、ボロボロになり、滅びかけようとしている人を、探し、待ち続け、見つけて連れ戻すことを喜びとする方なのです。
イエス様は弟子達に「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである(ルカ5:32)」と仰いました。常に弱き者、小さき者、悔い改めた者たちを勇気づけ、愛してくださる方であることを、皆さんにも感じていただきたいと思います。
私達も自分を「99匹の羊や九枚の銀貨、兄」と感じる部分がだれの中にもあるかもしれません。一方、「迷子の1匹、一枚の無くした銀貨、一人の息子」と感じることもあるでしょう。私達も皆、日々、様々な立場を経験しています。このコロナ禍だからこそ、更なる憐れみの心と愛を持って日々過ごしていただきたいと思います。
私達キリスト者は、神様に見つけていただき、憐れみの心を授けられ、そして導かれて、今この教会に集まっています。この神様の恵みに感謝して、共に喜びを分かち合いましょう。
今日の福音について黙想した時、私は次の詩篇の言葉を思い出しました。「主は憐れみ深く、恵みに富み忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることなくとこしえに怒り続けられることはない。主は私達を罪に応じてあしらわれることなく私達の悪に従って報いられることもない (詩編103.8-10)」。 神様は全ての人を慈しみ、救済の手を差し伸べてくださいます。私は 憐れみ深い神様の「無限の愛」と「憐れむ心」を改めて感じました。皆さんにも是非この詩篇の言葉を深く味わっていただきたいと思います。
ところで、9月8日は、聖母マリアの誕生や神言修道会の創立の祝日でした。今年で神言修道会の創立から147年になります。神言会の宣教活動は何よりもまず、「全世界に行って福音を述べ伝えなさい」というイエス様の派遣の言葉を実行することを目的としています。現在、6000人の神言修道会修道者が世界80数カ国で宣教活動を行っています。マリア様の取り次ぎの祈りを通して、彼らの宣教活動が憐れみ深い神様の御心にそって行われますよう、ご一緒に祈りましょう。
主の平和