2022 October 2nd. Sunday.年間第二十七主日(Twenty-seventh Sunday of the Year.)
使徒パウロのテモテへの手紙 二テモテ1: 6-8, 13-14
(愛する者よ、)わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。
キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛を持って、私から聞いた健全(けんぜん)な言葉を手本(てほん)としなさい。あなたにゆだねられているよいものを、わたしたちのうちにすまわれる聖霊によって守(まも)りなさい。
ルカによる福音 17: 5-10
使徒たちが、「私どもの信仰を増(ま)してください」と言った時、主は言われた。「もし、あなたがたにからし種(だね)一粒(ひとつぶ)ほどの信仰があれば、この桑(くわ)の木(き)に『「抜(ぬ)け出(だ)して海(うみ)に根(ね)を下(お)ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」
分かち合い:イエス様は、私たちが、日々の生活の中で、イエス様の教えを、実践(じっせん)するときに、のみ、神様への信仰が、さらに、強(つよ)められると、教えて、おられます。(Jesus teaches us that only when we practice his teachings in our daily life, our faith in God, gets strengthened. )
今日、私たちは典礼暦(てんれいれき)の第 27主日を祝っています。今日の聖書朗読は、聖パウロが、テモテに、あてた手紙と、聖ルカによる福音書から、引用(いんよう)されています。どちらの、読み物も、生活の中で神様の言葉を、実践(じっせん)することで、神様への信仰を強めることができると、いうことを、理解(りかい)するのに、役立(やくだ)ちます。さらに、愛(あい)と信仰(しんこう)という、神聖な賜物(しんせいな、たまもの)が、私たちの、日常生活(にちじょう、せいかつ)における、神様の言葉の、実践(じっせん)と、密接(みっせつ)に関連(かんれん)していることも、理解(りかい)できます。この、 二つの、読み物を、振(ふ)り返(かえ)りながら、二つの、考えを、皆さんと、共有(きょうゆう)したいと思います。
まず、聖パウロは、テモテへの、手紙の中で、日々の生活の中で、神さまの言葉を、実践(じっせん)することで、信仰を強(つよ)め、互(たが)いに、愛(あい)し合(あ)うことが、できると、はっきりと、教えています。これについて、聖パウロの、次のような、言葉を、耳にします。
キリスト・イエスによって、与(あた)えられる信仰(しんこう)と愛(あい)を持(も)って、私から聞いた健全(けんぜん)な言葉(ことば)を手本(てほん)としなさい。あなたにゆだねられているよいものを、わたしたちのうちにすまわれる聖霊によって守(まも)りなさい。
第二に、イエス様は、神様への信仰の力について、明確(めいかく)に、教えてくださいます。むしろ、イエス様は、象徴的な言葉(しょうちょうてきな、ことば)で、神様への真(しん)の信仰(しんこう)が、あれば、人生(じんせい)で、最も困難(もっともこんなん)な、問題を、乗(の)り越(こ)えることが、できると、教えています。これについて、福音書では次のように聞いています。
使徒たちが、「私どもの信仰を増(ま)してください」と言った時、主は言われた。「もしあなたがたにからし種(だね)一粒(ひとつぶ)ほどの信仰があれば、この桑(くわ)の木(き)に、『抜(ぬ)け出(だ)して海(うみ)に根(ね)を下(お)ろせ』と言っても、言うことを聞くで、あろう。」
皆さん、この立派な教から学びながら、私たちの毎日の生活について、次のように、考えてみましょう。
毎日の生活の中で、私達も、イエス様の、ことばから、離(はな)れながら、イエス様を、信(しん)じず、互いに愛(あい)し、合(あ)わずに、必要が、ある兄弟姉妹を、決(けっ)して、助けないで、生活したときが、あるかもしれません。このことについて、回心(かいしん)しながら、強い 信仰の、恵みのために、祈りながら、生活(せいかつ)するようにしましょう。こういうような、恵(めぐ)み、神様から、頂(いただ)けるように、このごミサの中で、ともに、祈りましょう。
また、今も、全世界(ぜんせかい)で、たくさんの人達が、新型(しんがた)コロナウイルスの、影響(えいきょう)に、大変(たいへん)苦しんでいます。難しいことですが、この苦しみの中にあって、神様の愛する子供(こども)である、全(すべ)ての人々が、救(すく)われるには、どうすれば、よいでしょうか。このことについて考えながら、病人(びょうにん)の、回復(かいふく)のために、共(とも)に、祈(いの)りましょう。