「神様の導きの光」(マタイ2.1-12)
皆さん、今日私達は主の公現の祭日を祝います。主の公現とは主なる神が御子イエス・キリストを諸国の民に示された、という神様の御業を表すと言う意味です。つまり、イエス様が全ての人の救い主としてお生まれになったことが広く、異邦人の世界にも知られたことを記念して祝う日と言うことになります。
イエス・キリストの降誕によって、神様が私達人類と共におられることが明らかにされましたが、それは闇の中に光がさしこむような出来事でした。これこそが、神様を待ち望んでいた人達にとって、その光は生きるための希望となったのです。皆さんもその光を感じながら生きていただきたいと思います。
今日の福音書は「神様の光に関するお話です。占星術の学者達は生まれたばかりのイエス様を探していました。同時にヘロデ王もイエス様を探していました。彼らにはそれぞれの目的がありました。学者達は星の観測をしているうちに、不思議な光る星を見て救い主の誕生を知り、祝福をするために遠くから黄金、乳香、没薬などの贈り物を持って、神様がこの世に送り出された救い主であるイエス様を探しました。
ヘロデ王は救い主であるイエス様の誕生の話を聞いて、驚き、怒り、恐れを感じました。 そして、すぐに祭司長や律法学者達を集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただしました。残酷であることで有名なヘロデ王は、あらゆる手を使って、生まれたばかりのイエス様を殺害しようとしたのでした。
しかし神様は全てのことをご存じで、「ヘロデのところに帰るな」という夢のお告げをされました。そのお告げに従って、占星術の学者達は別の道を通って自分達の国へ帰って行きました。
私は、この「別の道」という言葉を霊的に説明したいと思います。学者達は神様の夢のお告げを通して、別の道を選ぶことで、もはや経済や権力の中心を目指す学者ではなく、別の道を通ることで神様によって与えられた新しい命に生きる道を歩み始めたのかもしれません。生まれたばかりのイエス様を見て、彼らの心の中に真の信仰と希望の光を見出したのではないでしょうか。
さて、学者達は東方から来たと言われていますが、さらに東にあるこの日本にもメシア=キリストの光が届きました。その結果、私達も御子キリストの光を受けて、その輝きを感じながら、キリスト者として生きています。
皆さん、神様は私達にどのようにその光を使って欲しいのでしょうか?私達は学者達のように黄金、乳香、没薬は持っていません。そして、神様は当然私達にそのような事を期待してはいません。その代りに私達は神様に自分自身を捧げることができます。高価なものでなく私たちが出し合う小さなものでイエス様は喜ばれます。ちょっとした微笑み、人のために使う時間、が愛を分かち合い、そして信者の共同体としての暖かい雰囲気を作り出します。
学者達をイエス様の元に導いた夜空の星は、心を導いてくれる光、一人ひとりの心の中に働いておられる神様の光です。この光が今皆さんの心の中に輝いていますか。誰一人として悩みのない人はいません。不安や迷いの中で生きているからこそ、神様の光を心の中、信仰生活の中に見出してください。
もし皆さんが突然別の道を選ばなければいけない時、そしてそれが神様が求めておられる道だと感じた時はその光が、私達に突然別の道を示すことがあるかもしれません。勇気を持って神様のお導きに従いましょう。
どうぞ皆さん、神様の光に導いていただけるように、祈りましょう。あなたの御言葉は私の道の光、私の歩みを照らすともし火。今年も皆さんが真の光に導かれ、イエス様との出会いに深められる年でありますように、ご一緒に祈りましょう。