年間第3主日(2023年1月22日)
第2朗読 1コリント1・10-13
マタイ4・12-23
今日、私たちは年間第3主日を迎えています。この第3主日を「神のことばの主日」として祝います。私たちにとっては、私たちを生かしてくださる聖書の言葉を読み、神が語る言葉に耳を傾けることの意味を思い起こす機会です。日々の忙しい中でも、聖書を読んで、その日、神が語ってくださる言葉をこころにとめて、生きて行くことで私たちは、人生においての様々な絶望的な時にも勇気をもって生きて行くことができるのです。また、1月15日は神言修道会の創立者祝日でもあります。神の言葉の修道会として神言会を創立した聖アーノルド ヤンセン師の祝日に合わせて「神のことばの主日」を祝いましょう。
さて、今日の福音はイエス様が「悔い改めよ。天の国は近づいた」と述べ伝え、人々の回心を呼び掛ける宣教の姿を表す聖書箇所です。朗読された預言者イザヤの箇所には、イエス様の到来のことが前もって予言されていたことが書かれています。「…暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」。つまり、イエス様の到来によって多くの人が光の中を歩むようになるということを預言しているのです。福音の続きにもあるように、イエス様は多くの人が光の中を歩むために、あるいは、救いの喜びを伝えるために、弟子たちを選ぶのです。
きっと、信仰をもつということは、私たちにこの光が射し込み、神の救いに預かる喜びの中で歩むということだと思います。キリスト者として教会でお祈りをして、そこからたくさんの恵みと力をいただき、生きて行くことは、私たち誰もが気づかないうちに身に付く神の恵みです。
そのような信仰生活を送っているはずが、あるうちに、いつの間にか、私たちは本当の信仰生活を送ることから遠さがってしまうこともたびたびあり得ます。今日の第2朗読にもあるように、パウロは当時の信仰共同体のあり方を正すためのことばを残しています。つまり、彼らが、キリスト者として、信仰共同体を作り始めた頃のことですが、おのおの信徒はキリストそのものより、キリストのことを先頭にたって述べ伝えていた人々を中心に信徒が集まるようになり、対立が生じるようにもなったので、パウロがそのような方向性は正しい信仰のあり方ではありませんということをしっかりと伝えているのです。それは1コリント10章12と13節の「あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」という言葉です。
人々は目に見える者を中心に動いていたからこそその傾向になったのでしょう。
先週の聖書の中で、イエス様を見てヨハネが「世の罪を取り除く神の小羊だ」と述べ伝えましたが、その言葉にしたがってわたしたちは、ミサ毎の中で私たちは「世の罪を取り除く神の小羊」、としてイエス様を賛美し、そのイエス様の体をいただくのです。
しかし、キリストを中心に信仰生活を送らなければ、このような言葉を唱えながらも、私たちは暗闇にさまよう人々と同じになってしまうおそれがあります。人として、罪に陥る時に、暗闇にさまよう人になってしまうのです。また、ミサや祈りよりも、人を批判するような仲間意識などが中心になると、イエス様が与えて下さる救いと喜びの光から私たちの目を遮ることになりかねないのです。
日々の信仰生活において、キリストの光をしっかりと受け取ることが出来ているでしょうか。聖書の言葉に耳を傾けて、自分の目を遮るようなことから離れてイエス様が与える光を見るように、毎日少しずつ聖書を読んでいくように心掛けましょう。この「神のことばの主日」にこそ、暗闇にさまよう人ではなく、イエス様が呼び掛けている「悔い改めよ、天の国は近づいた」ということを中心に自分自身の信仰生活を送るように心がけましょう。
ビジュ キシャケール