年間第4主日
マタイ5:1-12
今日は年間第4主日を迎えています。今日はイエス様の山上の説教の最初の部分である八つの幸いが読まれます。この山上の説教の中の八つの幸いは、人として私たちがこころにとめ、目指すべき姿ととらえるべきことです。
この話のきっかけとなったのはマタイ4章24節です。「人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので、これらの人々をいやされた。」この人々を見て、イエス様が小高い山に登り、みんなに見えるようなところでお話しを始めたのです。
今日の聖書箇所は「八つの幸いあるいは真福八端」と呼ばれています。一つ一つはそれぞれの意味があり、人間として神との繋がりのあり方を示す箇所です。この中の「こころの貧しい人々は幸いである。」と言うこの貧しいという言葉はお金も食べ物ない状態だけではなく、神様を求め、神様とのつながりを飢え渇くことを意味します。神様を捜し求める人には天の国は与えられるということです。つまり、私たちは、神様の前ではどうしようもない人々でありますが、心の柔和な人や、義に飢え渇く人、または憐れみ深い人として幸いを受け、それぞれの状態に応じたものが与えられるとイエス様が約束して下さるのです。
後半の4つの幸いは前向きに生きようとする人々の姿を示しています。この八つの幸いを受け取ることは人として目指すべきことなのです。日々の生活の中では、私たちはそれぞれの場面の方々と出会うことがあるかもしれません。もしかして、一人ひとりが、この八つの中のどれかに夢中になっていることもあるでしょう。何より大切なのは、イエス様がこの八つの幸いを通して一人ひとりに、神様はあなたたちを見放すことがなく、一人ひとりの心のあり方に応じた幸いを与えるということを伝えたかったでしょう。イエス様のところに集まっていた方々はそれぞれ、病気や苦しみ、いろいろでした。その人たちにとっては、人生そのものが重荷でした。そこで、やはり、すべての行いにおいて神様とのつながりを大切にすることによって、見えないものも見えるようになると語って下さったのです。日々の生活の中で、苦しみ悶えている時にこそ、イエス様がおっしゃるこの八つの幸いは私も受けることができるのだと信じて神様とのつながりを大切にしましょう。
Biju Kizhakkel