2023 March 19th.Sunday. 四旬節第四主日。(The Fourth Sunday of Lent. )
ヨハネによる福音: 9. 1, 6,7, 14, 35-38. [そのとき、]イエスは通(とお)りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面(じめん)に唾(つば)をし、唾(つば)で土(つち)をこねてその人(ひと)の目にお塗(ぬ)りになった。そして、「シロアムの池(いけ)に行って洗(あら)いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来(きた)…。イエスが土(つち)をこねてその目を開(あ)けられたのは、安息日(あんそくび)のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見(み)えるようになったのかと尋(たず)ねた…。イエスは彼が(あるいは、目が見えるようになった人が)外(そと)に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答(こた)えて言った。「主よ、その方はどんな人(ひと)ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼は、「主よ、信じます」と言って、ひざまずいた。
分かち合い:イエス様は安息日(あんそくび)に、盲人(もうじん)を癒(いや)し、安息日の律法(りっぽう)を守(まも)ることよりも、互いに愛し合うことが重要(じゅうよう)であることを教えます。(Jesus heals the blind man on Sabbath day, and teaches that loving one another is more important than keeping the law of Sabbath.)
皆さん、今日、私たちは四旬節の第 4 主日を祝っています。 今日の福音朗読では、イエス様を信じた盲目(もうもく)の物乞い(ものごい)について聞きます。 その結果(けっか)、イエス様は彼の失明(しつめい)をいやしました。 つまり、目の見えない物乞いが視力(しりょく)を取(と)り戻(もど)したことは、大(おお)きな喜びです。 イエス様によるこの癒(いや)しを振り返り、二つの考えを皆さんと共有(きょうゆう)したいと思います。
第一に、イエス様は盲目の物乞い(もうもくの、ものごい)に出会ったとき、同情(どうじょう)を感(かん)じました。 言い換えればイエス様は神の真の子供として、貧しい人々に思いやりを示(しめ)す必要があると教えています。 したがってイエス様は霊的な力(れいてきなちから)で盲目(もうもく)の物乞い(ものごい)、癒(いや)されます。これについて朗読箇所には次のように書かれています。
[そのとき、]イエスは通(とお)りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面(じめん)に唾(つば)をし、唾(つば)で土(つち)をこねてその人(ひと)の目にお塗(ぬ)りになった。そして、「シロアムの池(いけ)に行って洗(あら)いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来(きた)。
第二に、偽善者(ぎぜんしゃ)であり彼らの説教(せっきょう)を実践(じっせん)しないファリサイ派の人々について耳(みみ)にします。 言い換えれば、イエス様が安息日(あんそくび)に目の見えない物乞い(ものごい)を、癒(いや)すとき、彼らはイエス様の善行(ぜんこう)を評価(ひょうか)する代(か)わりに、安息日の律法を破(やぶ)るものとしてイエス様を非難(ひなん)します。 さらにファリサイ派の人々は、癒(いや)された物乞い(ものごい)を社会(しゃかい)から追(お)い出(だ)します。 イエス様はファリサイ派の人々に、安息日の律法を守(まも)ることよりも貧しい人々を助けることが重要であると教えています。 さらに、イエスさまは癒(いや)された物乞い(ものごい)に会い、慰(なぐさ)めます。これについて、 朗読箇所には次のように書かれています。
イエスは彼が(あるいは、目が見えるようになった人が)外(そと)に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答(こた)えて言った。「主よ、その方はどんな人(ひと)ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼は、「主よ、信じます」と言って、ひざまずいた。
このイエス様による癒(いや)しを振り返りながら、私たちの日常生活について考えてみましょう。 日常生活の中で困っている兄弟姉妹に愛と思いやりを示(しめ)さなかったことがあるかもしれません。 その時を反省し、イエス様の良い模範(もはん)にならい、貧しい兄弟姉妹を愛し奉仕するよう努(つと)めましょう。 この目的のためにこの聖なるミサの間(あいだ)に特別(とくべつ)に祈りましょう。