今日は「キリストの聖体」の日曜日です。本来は、最後の晩餐における聖体の制定との関係で、先週の木曜日に祝われる祭日ですが、今日の日曜日に移動して祝われております。
今日の福音の箇所は、ヨハネ福音書6章51~58節でした。ヨハネ福音書6章は、五千人に食べ物を与えるエピソードから始まります。このエピソードは4つの福音書がすべて取り上げている特別なものです。26節には「あなたがたがわたしを探しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」というイエスの厳しい言葉が描かれています。イエスの語り口は、あたかも「またパンをもらいに来たのか」と言っているかのようです。
ヨハネ福音書の6章は、聖体の秘跡について、明確に教えてくれています。パンを食べた者は、同じパンをもらう存在ではなく、食べたパンに込められた思いに心を向ける者となるように招かれているということです。第一朗読の箇所にも同じテーマが取り上げられています。「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい」(申命記8:2)と語るモーセは、この言葉の後、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」(同8:3)という言葉で、荒れ野で神から与えられたマナの意味をイスラエルの民に解き明かしています。
聖体の秘跡を通して、イエスは私たち、キリスト者を訪れてくださいます。そこに込められているイエスの思いに心を向けて、成長させていただきましょう。