「年間11主日」 (荻窪教会)
(イエスは12人の弟子を呼び寄せ、派遣された)
今日の福音は、弟子たちを呼び集め、人々の中に派遣されるにあたってのイエスのことばを伝えています。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に祈りなさい。」このことばによって、弟子たちは今や、収穫の主、父なる神の収穫を迎えた畑に遣わされるのです。かつて、イエスのこのことばを受けて送り出された弟子たちのように、私たちも、同じイエスのこのことばを受けて、収穫の主の畑に遣わされるのです。私たちは何処にいて、どのような勤めに従事していようとも、あるいは、もはや勤めと呼べるようなことは何一つ出来ない境遇にいようとも、イエスのこのことばを受けて、日々の生活の場に送り出されているのです。そして、私たちの日々の生活の場、勤めの場は、イエスのこのことばによって、私たちにとって、収穫の主の収穫を迎えた畑となっているのです。収穫のための労働は、それ自体としては決して楽なものであるはずはありません。しかし、私たちは今や、イエスのあのことばによって、それが収穫のための労働であることを知ったのです。そこに私たちの言い知れぬ喜びがあります。
「収穫は多いが働く人は少ない」これは、働く人が少ないことを嘆かれたことばではありません。いくら働く人がいてもまだ足りぬほどに、収穫の主の畑は実り豊かであることを、私たちに告げることばです。私たちはそのような畑に送り出されているのです。そして、その畑とは、私たちの生活の場に他なりません。イエス・キリストが成し遂げてくださった過ぎ越しのみ業によって、私たちの日々の生活の場は、意味のない、味気のない、他人にその収穫の全てを持って行かれてしまう、奴隷のような日々ではなくなったのです。それはそのまま、収穫の主の収穫の畑へと変貌させられたのです。
辻 茂