2023年9月17日 辻神父様メッセージ

年間第24主日 (荻窪教会)

 (あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい)

 

 赦すことの難しさを、私たちは痛感させられます。しかし、本当に難しいのは、むしろ赦されてある自分に気が付くことではないでしょうか。赦すことの大切さをイエスは説かれます。けれども、それはイエスのメッセージの帰結にすぎません。メッセージの中心(核)は、赦せるか、赦せないか、そんなところで右往左往している私たちの上に、私たちに先立って注がれている大いなる赦しです。「彼らは何をしているかわからないのですから、どうぞ赦してやって下さい。」あの十字架の上から、イエスを通して私たち一人一人に与えられている、この大いなる赦しです。この無条件の赦しを心底悟ることなしに「何度まで赦さなければなりませんか」などと問うことは、実に無意味なのです。十字架のイエスを通して、この自分に与えられている赦しを悟ること以外に、本当の赦しの境地に達する道は、私たちにはありません。寛大さを身につけ、人間としての度量を大きくし、些細なことに動揺しない、そのような人間的修練を経て赦そうというのではありません。赦しには、いつも痛みが伴います。自分が傷つくことなしに、赦しはあり得ないのです。十字架のイエスを見つめること。この私の赦しのために、傷つき血を流しておられるイエスを見つめること。その血によって、赦されてある自分を悟ること。私たちの出発点はそこにあり、私たちの到達点もそこにしかないのです。

                      辻 茂