2023年9月24日 辻神父様メッセージ

年間第25主日 (荻窪教会) 

(わたしの気前のよさをねたむのか)

 今日の福音は、人間を愛し、大切にする神の心を示しています。例えのポイントは、雇い主が常識外れな賃金を支払うことにあります。一時間しか働かなった人にも、朝から働き続けた人と同じ一日分の賃金を与えます。もし、これが現実に行われたら、争議が起きることになるでしょう。これは、あくまでも例えです。雇い主は神、不平に思う人は当時のファリサイ派の人たちと考えて良いでしょう。彼らは自分たちの思い描いた神の姿に、かたくなにこだわります。神は聖なる方であるから、罪に汚れた人は神に近づいてはいけない、神は正義の神であるから、努力しない人は神にふさわしくない、という考えから、弱い人や罪人に対して厳しい姿勢が生まれてきます。ファリサイ派の人たちの心からは、他人に対するやさしさ、思いやり、あわれみが消えています。因果応報、すなわち、そこそこ合格点を取れるような生き方をしている人は救われ、そうでない人は救われないというような神観は、神の姿をゆがめることになります。神は何よりも、私たちのあるがままを受け止め、あわれみの眼差しで見守り続けてくださいます。見捨てることはありません。

 このあわれみの神こそ、私たちの希望なのです。

                     辻  茂